鬼人事クマさんのブログ

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「仕事はクソ」から始めるべき

私は「仕事が楽しい!」「お金を払ってでも仕事をしたい!」という思想や意見が大変苦手で、嫌悪感すら覚えます。そう言う人とはあんまり付き合いたくないです。

はっきり言って、こんな事を言える人が居るなんて理解できません。

一時期冷静に「仕事は楽しいのか」と考えて分析したことがあるのですが、どうしても仕事が本質的に楽しいものと結論付けられなかったのです。

以下は私が冷静に考えた内容を記しますが、これらに賛同いただき、日本がより良い労働環境を備える国となるように密かに祈っていたりします。

仕事が楽しいという幻想

私は誰かが「仕事が楽しい」と言っていたとすると、それははっきり言って嘘だと思います。なぜなら、楽しい事は声高に楽しいとは言わないからです。

私の感じる気持ち悪さはここにあります。

例えばテレビゲームに熱中している時にことさら「ゲーム楽しい!」って人に言わないでしょう。 また、テレビに出る一流のタレントやアスリートが「芸能人ってメチャ楽しい!」「サッカー死ぬほど楽しい!」って言ってますか?

私は全く聞いたことありませんが。逆に「つらい」とか「厳しい」という意見ならいっぱい聞いたことあります。

だけれども、一部の人は臆面もなく「営業って楽しい!」っていうんですよ。

なぜ?? なぜその楽しさを発見できたの?

一流のタレントや一流アスリートでさえ感じられない「仕事の面白さ」が、一般的な営業担当に感じられるのはなぜ??

また、「営業楽しい!」って言う人に聞いてみたいのですが、無報酬で誰からも注目されなくても、それをやりますか?

「会社が倒産しそうで3ヶ月は給料0。オフィスも解約するから自宅で仕事してくれ。社員は君以外は解雇するから仕事は一人でやって」と言われて、今の仕事を続ける人はどれ位いるのでしょうか。

そう言われてモチベーションがダウンするのであれば、仕事が楽しかったのではなく

  • 評価をされて、報酬を得られること
  • きれいなオフィスで快適に過ごせること
  • 部下に指示を出せて承認欲求を満たせること
  • が楽しかったのではないか?と疑わざるを得ません。

    であれば、別に「仕事が楽しい!」のではなく

  • 高評価を得られるのが楽しい!
  • 快適な住空間に居るのが楽しい!
  • 人の上に立つのが楽しい!
  • では?? それだと純粋に「仕事が楽しい」か分からないわけですよね。

    そして仮にそういった仕事以外の面が楽しかったのであれば、当然私のような下っ端(てか経営者以外)には共感されません。 下っ端は報酬が搾取され、誰からも注目されないのですから。 いっぱい報酬がもらえて注目される上役から「仕事へやる気出せ!」と言われたところで、仕事へのモチベーションなど上がりようもありません。

    事実が象徴するように「仕事は楽しい」はたいていトップダウンで出てきます。下っ端からはほとんど出てきません。その意味でも、「仕事が楽しい!」のではなく、出世して人・物・金を動かす裁量などが楽しいのであり、仕事それ自体が楽しいかどうかは疑問なんじゃないですか。

    つまり、パティシエという仕事が楽しいのではなく、パティシエの「チーフ」が楽しいのであり、別にエンジニアの「チーフ」でも、営業の「チーフ」でも、楽しい可能性が高いと思うのです。それって、仕事が楽しいとは違いますよね??

    仕事が楽しい!と安易に言っちゃう人は、ここを認識しておく必要があると思います。

    「仕事は楽しい」から発想した改革vs「仕事は絶対クソ」から発想した改革

    私が大好きな外国人の発想に、「仕事は絶対クソ」というものがあります。「絶対」というのは、いかなる状況でもクソだということです。職場環境や労働契約は全てそこから出発しているように思えます。

    一方で、日本だけが「仕事は美徳」という思想があるように思います。つまり、仕事は本来素晴らしいものであり、「仕事は美徳」が目指すべき態度であり、そうなっていないとすればそれは自分(あるいは社会??)の責任において正さないといけない、みたいな思想です。

    これ、本当にダメな思想だと思いますよ。

    なぜなら、「仕事は本来楽しい」「仕事は美徳」(=なるべくした方がいい)という発想から改革をすると悲惨になるからです。

    【「仕事は美徳」の思想からの改革】
  • 休暇増加 → 怠ける気だな?!けしからん!なるべく少なく!
  • フレックスタイム → 怠ける気だな?!けしからん!なるべく固定で!
  • 時短勤務 → 怠ける気だな?!けしからん!なるべく長めに!
  • テレワーク → 怠ける気だな?!けしからん!キチンと見張ろう!
  • ね? 改革しようにも逆方向のベクトルが「非論理的に」ついてしまい、歯止めがかかるわけです。一方で「仕事は絶対クソ」(=なるべくしないほうがいい)という発想から改革するとまるで異なります。

    【「仕事はクソ」の思想からの改革】
  • 休暇増加 → 最大限休めるようにしよう!
  • フレックスタイム → 最大限休めるように短めにしよう!
  • 時短勤務 → 最大限短く勤務しよう!
  • テレワーク → 最大限オフィスに行かないでおこう!
  • 全然結果が違ってきますね。

    でも、「仕事は美徳」の思想の方が利益が上がるでしょう?!と思うかもしれません。しかし、日本の労働者一人当たりの利益は諸外国に大して差がありません。逆に「仕事はクソ」と(少なくとも日本よりはそう)思っているドイツ・フランス・オーストラリアの方が一人当たりの利益が高いのです。

    そして、日本の労働時間はここ40年でどんどん減っていますが、利益は減っていません。労働観も「24時間働けますか」から「ワークライフバランス」へと「働かない方向」にシフトしていますが、利益は減っていないのです。

    つまり、「仕事はクソ」と思っていようが、仕事は美徳だと思っていようが、それだけでは国の豊かさはほとんど変わりませんよ。という事です。豊かさが変わらないのだったら、「仕事はクソ」と思った方が良いのでは?と思います。

    「仕事はクソ」から出発すべき

    よくある誤解が、ドイツ・フランス・オーストラリア人が怠け者であるというものです。はっきり言いますが、彼らは長くは働きませんが、良く働きます。

    日本人は良く働くといいますが、私は「どうなんでしょ?!」と思います。

    たしかに「良く働く = 思考停止して長時間働く事」と定義すれば日本人は良く働くのでしょう。 だけど、「良く働く = 利益を上げるために最小かつ最短で働く」と定義すると、日本は「良く働く」どころか逆にきわめて怠けものだと思います。

    それが端的に表れるのが会議です。

    会議は基本的に何かを決めるたり情報を伝達するためにあります。なので決めたり考えたりした結論が同じなら、会議時間が短ければ短いほど、人は少なければ少ないほど良いです。

    ところが日本では逆に、明確な議題が無いのに定例会議が開かれ、そこに考えられうる最大数の社員を投入したりします。ある意味、会議時間は長ければ長いほどよく、人は多ければ多いほど良いの発想です。

    外国では「仕事はクソ」という思想ですから、もちろん会議もクソになります。つまり、一刻も早くクソ会議を終えよう!という合意が全員でなされているわけです。

    そこでは少しでも非生産的な意見を言ったり主旨と関係のない持論を展開したりすると、メンバー全員がクソを掴む時間が延びる訳です。当然、後ほど激しく叱責されるでしょう。

    つまり、会議というクソをなるべく避けたいという欲求が、会議を最小かつ最短で終えるという行動に結びつき、業務改善・生産性の向上に繋がっているのです。

    一方で、仕事は美徳であるという思想では、もちろん会議の時間も美徳であるので、会議時間自体を減らしたり、回数を削減するという動機が生まれにくいです。

    例えば、とある日系企業で上司数名が大演説を繰り広げ、部下多数が御高説を拝聴する、みたいな営業会議が開かれるとしましょう。

    そこで一人の部下が「上司数名の発言はPDFで配布して、部下多数はそれに対する意見をメールで提出で良いのでは?」「だから、こういった定例営業会議は無駄なのでやめましょうよ」なんて言ったらどうなるか。 10人中9人がそう思っていたとしても確実に干されます。それは出席者全員に「会議は美徳!仕事は美徳!」という意識があるからです。

    「仕事はクソ」という意識がサービス残業を撲滅する

    あなたはいくらもらえばクソを手づかみしますか?

    あなたは報酬を渡すと約束してクソを手づかみさせた後、その約束を反故にして平気でいられますか?

    私たちの中で、無料でクソを掴む人は居ません。また、クソを掴ませておきながら平気な人もいません。ひどく苦痛を味わうものだから、クソを掴むという行動にはそれなりの代償を用意することになるのです。

    本来労働とは「クソを掴むようなもの」として広く認識した方が健康的だと思います。労働とは労働者にクソを掴ませる事に等しいという認識が日本全体にあれば、賃金支払いという、約束を反故にしてのうのうと経営している経営者は皆無になるはずです。

    ここを「仕事で成長!」とか「仕事は美徳!」とか「仕事をしてこそ一人前!」みたいなプラスイメージで固めてしまうと、賃金支払いを逃れている経営者や、それを取り締まるべき国の心が痛まなくなってしまいます。

    また、労働者自身も「成長するために賃金もらえなくても我慢しよう!」と我慢してしまいます。そして経営者でもないのに「始業前・終業後に営業会議だ!」と言う自称管理職(通称労働者)がかなり居たりしますが、彼らには「仕事はクソ」という意識はありません。

    しかし「仕事はクソ」だと考えている外国人や私のような一部の労働者にとって「仕事はクソ」なのであり、クソを掴むことが労働であり、その報酬が「成長」では、とてもではないですが我慢できないのです。

    日本全国民が本当に労働を嫌い、「クソを掴むか、会社に行くか…。う~~~ん迷う!」位になれば、賃金不払いも今よりは改善するはずです。

    日本がそろそろそういう社会に舵を切っていく事を切に願っています。